「力の源」  7/22   士師記16:15〜31

 私たちは勝手に、意味もなく、生まれてきたのではありません。
私たち一人一人が神さまに命を与えられて誕生し、今ここに生かされていると信じています。

 <わたしはあなたを母の胎内に造る前からあなたを知っていた。母の胎から生まれる前にわたしは
あなたを聖別し、諸国民の預言者として立てた>(エレミヤ1:5)とのみ言葉は、エレミヤだけに向けた
特別の言葉ではなく、私たちにも向けられています。
 サムソンは、イスラエルの指導者として立てられました。彼は、生まれる前から聖別され、神にささげ
られたものとして誕生し、髪の毛を剃らないことで怪力を与えられます。
 しかし、士師記14〜16章に描かれる彼の歩みは、与えられた能力を、自分の欲望のままに使っている
ように見えます。幼稚で、信仰的にも首を傾げたくなることに怪力を用いています。そしてついには、
だまされるようにしてその怪力を失ってしまいました。神から期待され、そのために与えられた能力を十分に
用いることができずに、失い、目をくりぬかれ、足枷をされた惨めな姿は、サムソンだけのこととは思えません。

 ここには私たちの姿があります。期待されて与えられている能力を神のために正しく使えず、失い、悲劇を
生み出すサムソンのような姿。更には、他者に神が与えた能力を奪うことに必死になるデリラのような姿。
これらは私たち人間の姿です。 
 そんな中で<しかし髪の毛はまた伸び始めた>と書かれます。神からの怪力の源であり、与えられた能力の
象徴である髪の毛は、そられても。また伸び始めます。神からの賜物は再生する。神がなお期待し続けておられる
からです。 そして、悔い改めるようにして神に祈ったサムソンは、最後に大きな働きをしました。

 あきらめ切り捨てるのでなく、なお期待してくださり、なお賜物を与える神の愛の深さを知ります。
 それを知っているから私たちは立ち直れます。
 神さまが自分に期待しておられることは何か、を問いつつ歩みたいものです。